その始まりは些細な疑いから 

皆様おはようございます、加賀塩之介です。

私が仰いでいる、とある方は常に言っています。
「全てを疑え」。
自分も其の例外では無い、全てを疑え…と。

私が今に至る全ての事は
2021年の初夏…この時から始まりました。

この時期、
突然メディアが急に推してきたイタリアの洋菓子がありました。
マリトなんとかという奴です。
私はその洋菓子を一目見てこう思いました。

「なるほど、これが今回のコロナ戦争で負けた日本に対して、
勝った白人国家群が送り込んだ令和のギブミーチョコレートですか…
生クリーム多すぎて糖質やばそうですね!」

そしてこうも思いました。
日本人は甘味を摂り過ぎてないだろうか…と。

日本において砂糖が普及しはじめたのは戦国時代。
バテレンの尖兵たる宣教師が布教のための麻薬代わりに持ってきたのが始まり。
最初は輸入に頼っていたが江戸時代には砂糖の国内製造が始まりその消費は更に拡大。
大日本帝国が米国との戦争に入る直前には現代と変わらないまで砂糖の消費は拡大していた。
そして敗戦後は砂糖以外の甘味も加わって、その量は計り知れない。

砂糖の消費が増えてきてから日本人の自己意思が薄れ、
従属・奴隷主義が進んだ様に思える。

砂糖は人を楽な方向へと行きたがせる…
自分より強いものへの従属を加速させる…
つまり精神への悪い影響が出るのでは無いだろうか?

お菓子メーカーってあからさまな売国主義が多くないだろうか?

砂糖はここぞという時の判断力の低下…つまり頭を悪くするのでは?
…その結果、国家として最も忌むべき事態である外国との戦争に負けるとか。

そして砂糖の中毒性はかなり高いと思われる。
今の世の中、甘味だらけであることがそれを物語る。

つまり砂糖は日本人をダメにしたのか?
歴史はそれを物語っているように思える。

私の脳裏に沸いた砂糖への疑問…
この日この時から、
私は自身の砂糖の消費を減らすことを決めました。

お菓子の新たな購入は禁止。(ただ在庫があるので少しづつ処分)
間食には煎り大豆、煮干し、練り物といった甘味以外のものに変更する。
自宅で飲むお茶やコーヒーには元々砂糖を入れていなかったので問題は無し。
出先での甘味飲料は禁止。
ヨーグルトは無糖のものだけにする。
料理に使っている砂糖については量は少ないだろうと考えて放置。

まずは簡単にこれらの事から実行を始めました。
そして並行して砂糖、そして甘味全般についての事柄を調べ始めたのです。

疑う事は大切です。
世の中は欺瞞と利権に満ちています。
理不尽で邪な考えが跋扈しています。

皆様も何か違和感を感じることがありましたら、
ぜひ気に留めて見て下さい。
そこから思いもよらなかった真実への糸口が見つかるかもしれません。
そして思考を巡らせ、行動するのです。

他らなぬ自分自身が生き残るために。